2008/11/30

1981年9月23日、田園コロシアム

1981年9月23日、東京田園コロシアム。スタン・ハンセンとアンドレ・ザ・ジャイアント。合計体重400キロ。伝説の大勝負です。古舘伊知郎の実況中継もなつかしい。


続き(2/2)

じつは、このとき会場にいた一万人の一人でした。いったん両者リングアウトで試合が終わった後、ミスター高橋が再試合を告げたときは大いに興奮しました。

この夜はもう一つの伝説が誕生。ラッシャー木村が初めてマイクパフォーマンスを披露したのです。緊迫した怒声が期待される場面でマイクを渡されたラッシャー木村が開口一番、「こんばんは、ラッシャー木村です」と間延びした声で律儀な挨拶。

熱心にプロレスをフォローしていたのは、1978年から1981年。高校から予備校を経て大学に入ったころまででした。

ヨハネス・フェルメール

現存の作品が30数点というフェルメール。いままでアムステルダム、ウィーン、パリですこしずつ実作を見てきて、今回の東京都美術館の展示で三分の一くらいに達しました。

フェルメールといえば、穏やかな光に包まれた静謐な世界が真骨頂。今回の展示作品群はちょっと期待はずれです。とはいえ、町の風景をさりげなく描いた「小路」(これはアムステルダムで見ているはず)など、実作を目の当たりにすると緻密な描き込みに吸い込まれるようでした。

2008/11/16

舘野泉ピアノリサイタル

舘野泉が左手だけで演奏する「シャコンヌ」はCDで何度も聞いているのに、実演の感興はまた格別でした。厳かにして優しい響きに包まれているうちに、涙腺が緩みそうに。うるうる。


風のしるし-左手のためのピアノ作品集

曲の力が大きいのは、冒頭の二曲、バッハの「シャコンヌ」とスクリャービンの「左手のための二つの小品」です。この二曲は「風のしるし」でも冒頭に収録されています。この二曲の後は舘野泉のために書き下ろされた作品を中心に構成。お弟子さんのピアニストと「三手連弾」もあり。あまり馴染みのない曲でこそ、名手の腕の冴えが際だっていました。

なお、家人は20数年前に舘野泉の実演を聞いたことがあるそうです。そのときの演目の中心は、フィンランドの作曲家カスキ。十数年前、家人がカスキの曲を手すさびに弾くのを聴いたことがありますが、叙情的というよりは獰猛でした(笑)。今回、舘野泉の実演に接して、カスキの曲を収録したCDを聴いてみたくなりました。

2008/11/15

走り納め

見事なお天気です。こんなコンディションの日は今年最後でしょう。100キロ以上走ってきました。



自宅近くにたどり着いたあたりでママチャリの女性を追い抜かしたら、後ろからファーストネームで呼びつける声が。振り返ると買い物帰りの家人でした。まったく気づかなかったなあ。

2008/11/10

「ランジェ公爵夫人」(ジャック・リベット監督、2006年)



見事な映画っぷりです。

公爵夫人と若き将軍との恋の駆け引き。最初は公爵夫人が優勢で、ある事件を境に将軍が優勢となり、悲劇的な結末を迎える。ストーリーだけ取り出せばただのメロドラマの上に、男女の激突が繊細な映像と音声によって濃密に描かれます。これは駆け引きと言ったら軽すぎで、まさに激突と言うべきでしょう。

安直な叙情とは終始無縁のまま、ただひたすら映画の面白さに打たれます。同じ監督の「静かなる諍い女」と同じ感興を覚えました。

たとえば、こんなシーン。

舞踏会場の隣の部屋で長椅子の左側に座る公爵夫人をカメラが捉えると、右側から将軍の声が。カメラがゆるやかにパンすると、そこに将軍の姿。また、会場から調弦の音が聞こえ、演奏が始まることを告げられると、あわただしく再会を約して公爵夫人が会場に入っていくとともに、演奏の音が聞こえてくる。このあいだ楽団は画面に現れません。

将軍役のギョーム・ドパルデュー。右足が悪く舞踏会でも踊らずに片隅に座っています。じっさいに、ドバルデュー自身、交通事故の後遺症で右足を切断して義足を使っていたとか。引きずるような歩き方と、不規則な足音が、将軍の人物描写に一役買っています。(ドパルデューは、先月、急死しました)

公爵夫人のジャンヌ・バリバールは、気品と誇りと情熱を演じます。家人は「社交界の華というにはシワが多くないか」と申しておりました。失礼であります。(バリバールと家人は同じ年齢)

そして、ミシェル・ピコリとビュル・オジェの「夜顔」コンビが、主人公二人の緊迫感と対照的な老人の重厚感を見せています。ミシェル・ピコリって、ルイス・ブニュエル作品以来、腹に一物あるような目つきに見えて仕方ありません。

ところで、公爵夫人は作中で二回誘拐されます。この二つの場面はほかの場面と異なる活劇調で描かれていて、ちょっとユーモラスです。リベット先生の違った側面が見られます。

2008/11/05

魚沼市鷹ノ巣

山奥の奥只見湖よりさらに山奥にある鷹ノ巣。福島県との県境、尾瀬にもほど近いところです。


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奥只見湖に通じる道路は冬の間通行できません。人々は、5月から11月初めまで山で暮らし、雪に覆われる季節は里に下りて暮らします。

訪問したのは小白沢ヒュッテ。ご主人によると、鷹ノ巣は明治時代の開拓地だったとのこと。かつては、冬も人が暮らしていたそうです。譲り受ける土地のない農家の次男坊・三男坊が新天地に向かうのは、北海道開拓や海外への移民と同じ構造です。家人の実家がある西那須野も明治の開拓地でした。

開拓地としての鷹ノ巣は、成功したとは言い難いようです。人口は減り、先人が切り開いた畑の多くも、人手が入った里山も、ふたたび自然に還りつつあります。現在は、新潟から尾瀬に向かうルートや、登山・渓流釣りの拠点として新たな活気が生まれています。

鷹ノ巣が衰えたのは、山奥で雪深いことに加えて、都市部に対して生活水準の差が開きすぎたことが原因でしょう。開拓地が企画された明治時代、自給自足の暮らしは当然のことでしたが、高度成長を遂げたあとは例外的になってしまいました。

じっさい、鷹ノ巣には昭和三十年代まで電気がありませんでした。いまも電気は近くの小さな水力発電所から供給されています。通常の電話はなく、高価な衛星携帯電話を使っています。とはいえ、インターネットは衛星回線によってブロードバンド化されています。衛星ブロードバンドは日本では個人で使う事例がなく、ヒュッテのご主人がいろいろ苦労して導入したそうです。

この日、ご主人もヒュッテを閉じて里に下るところでした。天気は快晴。沿道の風景は見事でした。





2008/11/03

11月3日

雨、曇り、晴れと目まぐるしく天気が変わる休日に、往復7キロくらいを散歩しました。



これはつかの間の晴れ間です。

2008/11/02

結婚式



昨日は職場の人の結婚式。思い返してみると、職場の人の結婚式は、前職を含めても5年ぶりです。結婚する人も減っているし、職場の人を招くことも減っているのでしょう。

披露宴の後、二次会を経て三次会が終わったのは午前2時過ぎでした。飲酒も四日連続で本日は少々疲れ気味。