2009/10/27

書物、データ、時間

なぜ、データしかない電子ブックに違和感を覚えるのか。

音楽では気になりません。音楽は、いまやハードディスクやフラッシュメモリに格納されたデータを「聴く」ことがほとんど。ネットワークで購入することも当たり前です。

書物は紙や皮といった媒体と分かちがたく結びついています。そこに記録された文字を読むには目玉と脳ミソさえあればよい。それに対して、音楽は媒体との結びつきが希薄です。音楽が記録されているのはただの媒体=メディアにすぎません。エディソンの蠟管レコード、SP、LP、磁気テープ、CD、MD、いかなる媒体であれ、そこに記録された音楽は何らかの装置によって再生され、耳に届かなければ音楽になりません。ここに、大きな違いがあります。それゆえ、書物を媒体から切り離す電子化には違和感を覚える。

書物が時間を越えて残ることも大きなポイントです。原理的に無限回の複製ができるはずのデータは意外と儚い存在なのです。まず、媒体を破壊するまでもなく、削除操作一つでデータを抹消することができます。

また、媒体は技術の変遷で次から次に現れては消えていきます。すでにFDは見かけませんし、MOを目にすることもなくなりました。

さらに、媒体そのものの寿命も限られていて、およそ数十年程度と言われています。一人の人間の一生には十分でも、人類で継承するには短すぎます。インターネット上でサービスを提供する企業は、預かるデータを何年保管できるのでしょうか。いやしくも文化を預かる器であるなら、クラウドが文字通り雲のように消えてしまっては洒落になりません。

なお、媒体としての書物が時間を越えて残ることと、書物に収められた作品が時間を越えて残ることは違います。人に読み継がれ、語られ続ける古典は媒体を越えて生き続けるのです。ここは面白いところです。

2 件のコメント:

みのりん さんのコメント...

いまだにデジカメに違和感と危うさを感じるのはそのためか。動画と写真はまったく違うんだね。

okaken さんのコメント...

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