2009/11/08

Sat, Nov 07

  • 22:20  新潟にもインド料理屋が増えている。ここはカレーの種類が豊富でウマイ。店の人がみな彼の地の人なのもウマさを盛り上げている。http://naviniigata.com/025-284-4544/
  • 20:30  まあまあ楽しめるお馬鹿コメディ。悪役ベン・スティラーの70年代風レイヤード・カットがイカす。。「ドッジボール」(ローソン・マーシャル・サーバー監督、2004年)
  • 19:30  風邪気味で走ったら帰宅してくたくた。午後、一眠りしたら元気になった。
  • 09:54  角田浜。晩秋のヒエログリフ、 http://bit.ly/1FTQPK
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2009/11/05

流木アート書体

先日の阿賀野ライン舟下りのときに見かけた看板です。



よく見ると、「阿賀野川舟下り」の文字は流木で造形されています。「賀」の左下のひょろひょろとしたハライなど、なかなかの味わい。どの文字もアートの域に達しています。

手書きの文字も発見しました。



流水を模したかのようにくねくねとした手書き文字。青い草むらのような描き込みは、川波の描写でしょうか。これだけ創意を凝らしても、流木文字のインパクトには及びません。

2009/10/27

書物、データ、時間

なぜ、データしかない電子ブックに違和感を覚えるのか。

音楽では気になりません。音楽は、いまやハードディスクやフラッシュメモリに格納されたデータを「聴く」ことがほとんど。ネットワークで購入することも当たり前です。

書物は紙や皮といった媒体と分かちがたく結びついています。そこに記録された文字を読むには目玉と脳ミソさえあればよい。それに対して、音楽は媒体との結びつきが希薄です。音楽が記録されているのはただの媒体=メディアにすぎません。エディソンの蠟管レコード、SP、LP、磁気テープ、CD、MD、いかなる媒体であれ、そこに記録された音楽は何らかの装置によって再生され、耳に届かなければ音楽になりません。ここに、大きな違いがあります。それゆえ、書物を媒体から切り離す電子化には違和感を覚える。

書物が時間を越えて残ることも大きなポイントです。原理的に無限回の複製ができるはずのデータは意外と儚い存在なのです。まず、媒体を破壊するまでもなく、削除操作一つでデータを抹消することができます。

また、媒体は技術の変遷で次から次に現れては消えていきます。すでにFDは見かけませんし、MOを目にすることもなくなりました。

さらに、媒体そのものの寿命も限られていて、およそ数十年程度と言われています。一人の人間の一生には十分でも、人類で継承するには短すぎます。インターネット上でサービスを提供する企業は、預かるデータを何年保管できるのでしょうか。いやしくも文化を預かる器であるなら、クラウドが文字通り雲のように消えてしまっては洒落になりません。

なお、媒体としての書物が時間を越えて残ることと、書物に収められた作品が時間を越えて残ることは違います。人に読み継がれ、語られ続ける古典は媒体を越えて生き続けるのです。ここは面白いところです。

2009/10/26

電子ブック・プラットフォームとしてのAmazon Kindle

この記事を見て、Amazon Kindleの認識を改めました。

Kindle for PC まもなく登場 (Engadget Japan)
Kindle for iPhoneを見ても分かるとおり、アマゾンにとってKindleは電子ブックリーダーデバイスに留まらず、電子ブックプラットフォーム全般を指す語です。彼らが目指すのはナンバー1の電子ブック端末メーカーではなく、ナンバー1の電子ブックプラットフォーム。
そうです。AmazonにとってKindleハードウェアは、電子ブックの閲覧手段の一つにしか過ぎないのです。Kindleハードウェアでも、iPhone版アプリでも、Windows版アプリでも、あるいはMac版アプリでも、自分が購入した電子ブックは「ここまで読んだ」やメモを含めて同じ状態に同期されます。Googleのメールや、RSSリーダや、ドキュメントをどの端末でも同じ状態で操作できるのと同じです。

Amazonにとって重要なのは電子書籍のデータそのものではなく、それをAmazonが集中管理することなのです。電子ブックのデータはどの端末にあってもかまいませんが、その閲覧権はしっかりと管理する。ユーザが対価を支払って購入し所有するのは、データそのものではなく閲覧する権利なのです。

この感覚はなかなかなじめません。書物はたんなる情報ではないという思い込みが強いのでしょうか。

一冊の本の装丁や手触り。たくさんの本がうずたかく積まれたり、書架に収まっている様。こうした書物体験がなくなることはない、と信じたいところです。

2009/10/25

阿賀野川ライン舟下り

青空が広がる気持ちのよい秋晴れの朝。思い立って阿賀野川ライン舟下りに出かけました。紅葉の盛りには早いけれど、渓谷の風景はなかなかお見事。

舟の上で現在位置を確かめてみました。



阿賀野川のど真ん中。カーナビでは見られない現在位置です。

2009/10/24

Amazon Kindle iPhone版

Amazonの電子ブックリーダーKindleのiPhone版を使ってみました。



以下の手順です。
  • iTunes StoreのUS版のアカウントを取得。米国版iTunes Storeギフトカードを使用
  • Amazon US版のアカウントを取得。これは日本のクレジットカードでもOK(当方は、以前、取得していたアカウントを使用)
  • Amazon KindleアプリをiTunes Storeからダウンロード
  • Amazon Kindleアプリを起動してAmazon USストアのアカウント情報を入力
  • Amazon USストアをPCからアクセスしてKindle版の書籍を購入
  • Kindleアプリを再起動すると自動的に同期され書籍がダウンロードされる


見栄えはこんな感じです。(書籍はNicholas Carrの"IT Doesn't Matter")



文字の大きさ・色の設定、しおり、メモ(ノート)機能が装備されています。

おりしも、Kindleハードウェアが日本でも発売されました。3G携帯キャリアとの交渉が完了したのでしょう。日本でも携帯事業者と契約しなくても、3G携帯ネットワークにアクセスできるようです。

ブサイクながら大きなペーパーホワイトディスプレイを備えたKindleハードウェア。iPhoneより読みやすいことは間違いありません。ちょっと物欲を刺激されます。

まあ、長大な小説「大菩薩峠」をPalmの小さなディスプレイで読み切ったことがあるのですから、ここはガマン。

追記:Windows版に続いてMac版のKindleもリリースされるようです。

秋の角田浜(その2)

一ヶ月前に砂が運び込まれていた角田浜が、今日ははこんな姿に変わっていました。





土嚢が積み上げられています。浜茶屋(海の家)を砂から守るためでしょうか。この地域の浜茶屋は7月の終わりに開業して、8月の終わりには閉店します。営業期間は一年間のうち一ヶ月強。長い休業期間の間、建物をしっかり守る必要があるわけです。

本日は、気合いを入れてペダルを回しました。コツをつかみかけているような気がします。それでも、タイムはいまいち。もう一工夫と精進が必要なようです。

2009/10/12

ディスプレイの発色を調整

ディスプレイにぶら下がっているヒモのついた棒は、ディスプレイの発色を調整するキャリブレーション・ツールです。製品は"PANTONE hueyPRO"。背景の楕円の画面は調整用のソフトウェア。



普段使っている3台のパソコンをこいつで調整してみたら、おおむね色味が揃いました。ただ、ディスプレイを並べると、ニュートラルグレーが微妙に赤に寄っているなど、多少の違いが感じられます。この製品はプロ用ほど厳密ではありませんし、ディスプレイの根本的なクセまではカバーできません。とはいえ、自分が撮る写真にはこの程度で十分です。というか、もったいないくらい。

話は変わりますが、わたくし、これまで生きながらえてきて自分の感覚が全般的に弱いことに思い至りました。とくに、味覚と嗅覚はペケ。聴覚も怪しく、視覚はまあまあ。感覚受容器官の性能が低いのか、それを知覚するお脳が弱いのか、原因は定かならず。ちなみに、「空気を読む」感覚もかなり鈍いようです。

二週間前

二週間前は、こんなところにいました。







自転車で100マイル(160キロ)走った以外の記憶があまりありません。何もしていない、何も考えていない時間が過ぎていたようです。それはそれで貴重。

2009/09/21

アート看板

今日も那須野が原の定番コースを自転車で走行。その途中で見かけた連続看板です。







メッセージに添えられた絵がモダンアートというか、アウトサイダー・アートの味わい全開です。以前は一つだけだったのが、徐々に増殖中。

ちなみに、本日はソロ走行。気合いを入れて走りました。サイクルコンピュータに記録された数値はイマイチでしたが。

2009/09/20

9月の那須塩原

昨夜、那須塩原市にある家人の実家に移動しました。

今日は、さっそく自転車で50キロほど走行。9月の終わりにここに来たのは初めてです。日差しは強くても、風が涼しくてなかなか快適です。観光地につながる道路は渋滞していました。


いちめんの白い花。ソバの花でしょうか。


木漏れ日の林。なお、この画面外には廃車が何台も置いてある解体屋があり、飼われている犬たちががんがん吠えまくります。


昼食を食べたパン屋の前。今日は家人と走りました。ゆっくりしたペースもたまにはいいものです。

2009/09/19

秋の角田浜

秋の角田浜と言えば、人影もなく寂しい海岸。ところが、今日、自転車で来てみるとこんな光景が。



夏が終わった頃、だいぶ砂が減っているとは思っていました。砂浜も人手で維持しているわけです。

2009/09/17

日曜日の夕方

日曜日の5時ごろ、銀塩カメラを首から提げて近所を徘徊。フィルム1本、36枚、30分一本勝負。









(Asahi Pentax SL + Takumar 28mm/f3.5 + Fuji SUPERIA X-TRA 400)

40数年前の国産SLR用の広角レンズは、よく言えば、おっとりした描写。コンパクトデジカメがきれいに写り過ぎると思えるときは、こんな絵が心地よい。

2009/09/16

ジャンベ(アフリカン・ドラム)

アマナ サンバララ カルウ ライブ」で、ジャンベ(アフリカン・ドラム)を中心にしたドラム演奏と歌とダンスを堪能してきました。

このライブのチラシを拾ったのは、映画「扉をたたく人」(トム・マッカーシー監督、2008年)の上映館。「扉をたたく人」では、ジャンベとそのプレーヤーが頑固な爺さんの心を開くきっかけとなっていました。たしかに、手でたたくタイコの熱い演奏には心躍るものがあります。

じつは、映画の後、楽器屋でボンゴやジャンベを触ってきました。ライブの主催者は、西蒲区にあるジャンベ専門店です。あと一押しで手を出してしまいそう。ま、リズム感がイマイチ弱いのでやめておきますか。

なお、50〜60人ほどのライブ会場には古町や万代ではあまり見かけない南国スタイルの人が多数。家人曰く「インド綿系」。西洋古典音楽の演奏会にも、ロックコンサートにも、ジャズのライブハウスにもない、ゆるーい雰囲気が独特。

2009/09/07

デジタルで管理しアナログで聴く

「大人のための新オーディオ鑑賞術」(たくき よしみつ著、ブルーバックス)は、帯にあるとおり「デジタル音楽をアナログ重視で楽しむ!」ことを主題としています。

すでに自分もこれを実践しています。CDをケースから出してプレーヤーにセットすることはレアケース。ほとんどはiMacに貯め込んだ音楽データをiTunesで再生して、オーディオセットから音を出しています。

音楽データのビットレートは256Kbpsに設定。128Kbpsだと、オーケストラがわずかに薄っぺらく聞こえます。薄っぺらく聞こえるような気がするだけ、というか。これが256Kbpsになると、元のCDとの違いがまったく分かりません。再生装置のせいか、自分の耳のせいか。ま、間違いなく後者でしょう(笑)。

たくき氏は、音楽データはデジタルで管理し、アナログのアンプとスピーカーに思う存分凝ればよい、と言っています。ハイエンド・オーディオの魔界には近寄らないようにしてきたけれど、ちょっと試してみようか、と思案する今日この頃。

2009/09/06

やすらぎ堤の二人

やすらぎ堤に座って信濃川を見つめている人たちがいます。



この二人、微動だにしません。近づいてみます。



コンクリート製の人形でした。これも「水と土の芸術祭」のアート作品の一つです。

2009/09/05

iPhone用ペン

iPhone用のペンです。



指で操作するのに不都合は感じないけど、机の上ではペンも便利です。

会議中にiPhoneを指で操作していると「メールか?」と思われがちですが、ペンを使っていると仕事感が漂います。もちろん、スケジュールを確認したり、メモを取ったり、仕事のためにiPhoneを操作することがあるわけです。はい。

2009/08/20

ディスプレイの解像度

かつて日本のPCのディスプレイは640*400画素でした。これは16*16ドットで構成された文字を、40文字*25行で表示します。DOS/Vの頃から640*480画素(VGA)が主流になりました。

Windowsが登場してからさまざまな解像度が登場しました。10年くらい前から1024*768画素(XGA)が標準となり、ノートPCでは1280*800画素も多くなりました。

と思っていたら、ネットブックというPCの価格破壊ジャンルが登場。ネットブックのディスプレイは1024*600画素と思っていたら、縦方向が短い1024*576画素なんてのも出てきました。

ディスプレイの解像度に何か原則はあるのか?

ありました。この図です。(Wikipedia)



ディスプレイ解像度はさまざまですが、ほとんどがヨコタテ比率4:38:516:9のいずれかの線の上にあります。

ながらく4:3が主流でした。コンピュータのみならず、スタンダードサイズの映画も、デジカメもこの比率です。

高解像度TV(HDVT)は16:9です。単体ディスプレイの主流の1920*1080画素も、ネットブックの1024*567画素も16:9です。Vaio Type-Pの1366*768画素もこの比率。この16:9のPCもだいぶ増えてきました。

とはいえ、この16:9というヨコタテ比、PCで作業するには横長すぎて使いにくいように思います。時計やカレンダーといったガジェットを表示させておくのですかね。

2009/08/16

竹の家

やすらぎ堤に出現した大きな竹の家。



これも「水と土の芸術祭」のアート作品です。なかなかの大作。

中からはこんな風景が見えます。



モダン、かつ、牧歌的ですね。「水と土」というイベントタイトルの通りです。

今日も夏らしい強い日差しでした。走っている間は風が当たって快適ですが、信号待ちで止まったときは暑くてらくらしました。

2009/08/15

ベランダ

夜風が涼しいベランダで一杯。



ボンベイサファイアのボトルの位置を変えたら、ベランダの壁に影が映じていた。

関屋分水河口の遊具

関屋分水河口の公園に新しい遊具が設置された、わけではなくて、これも「水と土の芸術祭」の作品の一つ。



舟をかたどった鉄パイプの構造物は、どう見てもジャングルジム。じっさい、中で子供が遊んでいました。参加型作品というわけです。

本日も快晴ながら湿度は低め。走れば暑いけど、日陰に入ると風がすっと涼しい。さすがにこのまま秋に突入はせず、来週は暑い日が続くようです。

2009/08/14

爽快な夕暮れ

今日は快晴。湿度が低くてさわやかな一日でした。



じとじとと湿っていた昨日から一転して低湿度。この夕暮れもさながら秋です。夏はどこへ?

2009/08/10

雨上がりの薄暮

終日、降り続いた雨が暮れ方にあがりました。外に出てみると、こんな様子。







実際の風景より、写真の方がドラマチックです。
(RICOH GR DIGITAL II)

2009/08/09

今年もベランダから花火

昨年に引き続き、新潟祭りの花火を、住まいのベランダから鑑賞。



この動画はフィナーレ。火薬の匂いもかすかに漂ってきました。近いなあ。

2009/08/08

角田浜のヒエログリフ

自転車練習コースの折り返し点にしている角田浜。そこに、象形文字が刻まれた御影石のオブジェが。



これも「水と土の芸術祭」のアート作品の一つ。タイポグラファーの浅葉克己によるもの。

砂浜のファミリー客たちとは異質の結界が張られていました。あと一月くらいして、浜辺に人がいなくなると別の風情が漂っていることでしょう。

今日は、朝からぐずぐずした空模様。思い切って家を出てみたら、雨には遭遇せず。日差しが弱くて気温も上がらなかったので、自転車で走るには快適な天候でした。海水浴なら、カっと晴れている方がいいでしょうね。

2009/08/01

自然の中のモダンアート

新潟市では、「水と土の芸術祭」が開催されています。いつもの自転車トレーニングコースの周辺にある3つの作品を眺めてきました。


古タイヤで囲まれた空間の中心に積まれた空き缶に噴水。アート然としたアート。


水に浮かぶ小舟と樹木の組み合わせがアート作品。潟(佐潟)と蓮の花と角田山が織りなす風景に溶け込んでいます。


これは上堰潟公園。管理事務所のおじさんに尋ねてやっと発見。作品を紹介する掲示板もなく、土木構築物なのか、ほんとに作品なのか判然とせず。

市の中心に設置された作品は大がかりで気合いが入っているそうです。これはこれで、田園風景の中の宝探しとして楽しめました。

2009/07/26

「シェルブールの雨傘」(ジャック・ドゥミ監督、1964年)



台詞はすべて歌、あふれる色彩。リアリズムとは正反対の人工的な描写です。恋人たちが徴兵をきっかけに別れるというありきたりなお話なのに、ミシェル・ルグランのテーマ音楽が流れるだけでついつい涙腺がゆるんでしまいます。

タイトルバックは、雨に濡れる石畳の歩道。それを真上から捉えた画面の上下左右からさまざまな色の雨傘が入ってきては去っていく。そこに例のテーマ音楽が流れます。これだけでうるうる。もちろん、主人公の男女たちが嘆き別れるシーンでは、なおさらうるうる。いつ刷り込まれてしまったのでしょうか。

徴兵で男が不在となり、残された女が心変わりするというパターンは、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の「恋恋風塵」を思い出します。徴兵が実施されている韓国や台湾ではとてもリアルなお話でしょう。フランスも、アルジェリア戦争の頃は二十歳の男が徴兵されていたわけです。

「シェルブールの雨傘」はラストが心に残ります。それぞれ別の家庭を築いた男女が、たまたま遭遇します。それも、互いの連れ合いがいないシチュエーションで。でも、わずかに言葉を交わしただけで、それぞれの家庭に戻っていく。

身重のカトリーヌ・ドヌーブを娶るのは裕福な宝石商。彼が自分の失恋の思い出を語る場面で、人のいない古いショッピングモールが映しだされます。この印象的なショッピングモールは、シェルブールでも、パリでもなく、ナントにあります。数年前も同じたたずまいでした。

付記
デジタルリマスター版の解像度は720P程度では?色は鮮やかだったけど、走査線が見えるくらいぼんやりしていて残念。

2009/07/22

キーバインディング

PCのキーバインディングをemacs風に統一しました。

もともと、テキスト入力中のカーソル移動や削除は、キーボードのホームポジションのまま、コントロールキーとの組み合わせでこなしてきました。ホームポジションからカーソルキーやマウスに手を移動しなくてよいからです。

キーバインディング(キーの割り当て)にはいくつかの流派があります。vi風、Vz風、emcas風。いずれもそこそこ使いこなせます。でも、やっぱり、統一した方が便利。

MacOSは、ワープロからWebブラウザまであらゆるソフトのキーバインディングがemacs風に統一されています。

WindowsはOSで統一されていません。おのおののアプリでVz風の設定を使ってきました。

Vz風のキーバインディングのキモはダイヤモンドカーソル(コントロール+A,S,W,Zがカーソル移動)です。ダイヤモンドカーソルとのなれそめは、MS-DOS時代の「一太郎」でした。Vzエディタを常用するようになってからVz風一筋で、Windowsの秀丸エディタも、メーラーのエディタもVz風に設定してきました。

問題は、Webブラウザのテキスト入力エリアです。

GoogleをはじめとするWeb上のサービスを多々利用するようになると、ブラウザのテキスト入力エリアでキーバインディングが使えないことにストレスを感じるようになりました。MacOSでもブラウザは完全にはemacs風になっていません。カーソル移動のつもりでブログ記事を公開してしてしまったり、調子悪いことおびただしい。

それを救ったのが、Firefoxのアドオン "firemacs" です。名前の通り、Firefoxにemacs風のキーバインディングを与えるアドオン。こいつをインストールすると、Google Docsからグループウェアまで、Firefoxでアクセスするすべてのサービスでemacs風キーバインディングが使えるようになります。すばらしい。

これを使い始めてからキーバインディングをemacs風に統一することを決意しました。Windowsの秀丸エディタもメーラーも、みんなemacs風に切り替えを完了。

先日、Firefoxの3.6がリリースされたときは、firemacsがなかなかバージョンアップされなくてひどく難儀しました。それくらい、ブラウザを使う機会が増えているということです。

なお、コントロールキーの位置は、もちろん、'A'の左です。こうなっていない野蛮なキーボードは、ユーティリティを使ってキーマッピングを変更します。こうして手なずけたマシンばかりを使っているので、他人のPCはろくに操作できません。

2009/07/13

モールトンのタイヤ交換

ロードバイクに乗り始めてから出動回数が減ったMoulton APB-8のタイヤを二年半ぶりに交換しました。



いままではSCHWALBEのSTELVIOケブラービード(現行製品はDurano)をおごっていましたが、今回はそれより安価なContinental Sport Contactを選択。サイズは同一ながら、最大気圧が8.5気圧から、6気圧に低下します。設置面積が増えて、走行抵抗が大きくなるはずです。

20キロほど走ってみました。タイヤの違いよりも、車重13キロ以上がむやみに重く感じられます。加速や登り坂がてきめんです。APB-8はゆったりと重厚な乗り心地を楽しむべきなのでしょう。

2009/07/11

シルキーバーディFサス

Peugeot Pacific-18(BD-1)のサスペンション・スプリングシステムを交換しました。二度目の交換です。

交換前は、Sky Shock Springというぶっといスプリングを装着していました。ガチガチに固いし、ハンドルへの荷重を減らすと振動することがありました。また、段差で衝撃が加わるとガチガチと金属の衝突音が発生。


[シルキーバーディFサス]

今回のブツは、加茂屋のシルキーバーディーFサス。ノーマルのほかに、ハードスプリングも調達しました。

製品の狙いは、横方向のガタの低減です。スプリングはシャフト入りが2本。1本に比べて横方向の剛性が向上します。しかも、ボディへもローレットネジでがっちりと固定。ここはサスペンションを折りたたむために脱着可能とする必要があります。オリジナルは、フック一つでひっかけるだけ。横剛性など配慮はゼロでした。


[オリジナル状態]

問題は前ブレーキと干渉してしまうこと。もともと、タイヤホイールを18インチから20インチにアップしていたので、Vブレーキのワイヤがスプリングに接触していました。以前は、ブレーキワイヤをチューブで逃がしていましたが、今回はブレーキワイヤのガイドがスプリングに引っかかって戻らなくなるほどの深い干渉。

一計を案じて、手持ちパーツのショートアームVブレーキを取り付けてみました。


[ショートアームVブレーキ]

アームが短くなった分、テコ比が小さくなり、ブレーキの効きが悪くなるはずです。取り付けてみるとブレーキシューの位置は、ボルト穴の一番下になりました。ブレーキの構造の中で最大のテコ比が確保されたわけです。

走行してみると、横剛性向上の効果はてきめん。不用意な振動や、段差を越えたときの金属衝突音がなくなりました。ノーマルスプリングはちょい乗りで快適。ハードスプリングに交換すると、速度を上げたときの安定感が増します。スプリングを貫通するシャフトは、ガイド穴との摩擦でダンピング効果もあるようです。ブレーキも案ずるよりは効きました。以前、モールトンAPB-8で使っていたカンチブレーキより良好。

さて、どこに走りにいきましょうか。

2009/07/07

「世界奇食大全」(杉岡幸徳著、文春新書)

世界奇食大全 (文春新書)

心躍る書物でした。食べ物の話は面白い。
「しかし、押し寄せる奇食の波を乗り越えてみて、わかったことがある。それは、食べ物とはこの世界そのものであり、人間そのものだということだ。」(p.10)
世界のどこへ行っても、人間の喜怒哀楽の感情は共通だといいます。けれども、喜怒哀楽を表現する方法はまったく異なります。人間は何らかの型を使わなければ、行動することができません。行動を規制する型こそが、文化というものです。そして、この文化という型は、行動のみならず、行動に至らしめる思考や、行動の入力たる感覚さえも規制するのです。

食べるという人間の基本行動も、味覚という感覚も、もちろん文化に深く根ざしています。そして、食の禁忌=奇食にこそ、食にまつわる文化が先鋭的に現れるわけです。本書が面白いゆえんです。

ちなみに、わたくしの母親の実家は長野県の上伊那地方。本書で「奇食好きにとっては夢のような場所」と紹介されるところです。おたぐり(馬の腸の煮込み)、ザザムシ、イナゴ、ハチの子、まんじゅうの天ぷら、などなど。信州は山国。動物性タンパクが少ないので虫まで食べたと聞いたことがあります。

奇食の中には、肝試しや、美食の果ての悪食といったものもありますが、中には本当においしいものもあります。ハチの子の佃煮はその代表例。機会があれば、ぜひお試しあれ。独特の風味は絶品で、日本酒の肴に好適です。慣れないとビジュアルは強烈かも。

2009/07/06

万代橋



昼間は暑くても、夕方は川面を抜ける風が心地よい。

正方形

県立図書館裏で二週間前に撮影。まだ日陰が涼しかった。




正方形は人工的なフォーマットです。長方形では気にならないフレームを意識させられます。

Rolleiflex 3.5E(Plannar f3.5/75mm) + RVP

Garmin Edge800を新調

5年間の酷使で満身創痍のGarmin Edge305。ついに、Edge800の導入に至りました。 楽しい選択で迷ったのは他社のサイコンではなく、iPhone。Bluetooth接続の スピード/ケイデンス・センサー や、 心拍センサー を導入して、 Cyclemeter な...