2007/10/14

つかの間の秋

秋は、夏から冬に移ろう狭間の季節です。今年はとりわけ短いとか。


四ツ郷屋浜。


小針あたり。この放置自転車は数日間立ったままです。四ツ郷屋浜でも小針でも、彼方に佐渡が霞んでいます。

2007/10/10

カラマーゾフの兄弟1

話題の新訳です。(亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫)

これがほんとに面白い。

激しい感情のぶつかりあい。濃いキャラクターたち。そしてスピーディな物語展開。昨夜、一巻目を読み始めたら最後まで止められなくなりました。今日は眠かった。。

今夜は二巻目。早く眠れるでしょうか。

2007/10/08

「サン・ジャックへの道」

「サン・ジャックへの道」(コリーヌ・セロー監督・脚本)を観てきました。(公式サイト

サン・ジャックとは、フランス語で聖サンティャゴ(聖ヤコブ)のこと。そこに至る道とは、スペイン西北部のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路であります。フランスのル・ビュイからピレネー山脈を越えて終着地点までじつに1500キロ。徒歩では2ヶ月以上を要するとか。

この映画は、巡礼路を辿るツアーに参加した人びとの人間模様を描きます。まあ、映画としてはぱっとしませんが、背景となる自然は素晴らしい。

フランスの雄大な緑の平原。8月の渡仏を思い出します。TGVやロートルートが通っていない田舎にはこんな雄大な風景が広がっているのでしょう。そして、険しいピレネー山脈を越えたスペインは荒涼たる砂漠。

1500キロの難行苦行を経てたどり着いた聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラのありがたみはいかばかりのものか。

じつは、わたくしもサンティアゴ・デ・コンポステーラに行ったことがあります。10年前に3回も。いずれも飛行機ですいっと到着しました。聖地のありがたみはほとんど感じない始末。

ちなみに、サンティアゴ・デ・コンポステーラは、イベリア半島がイスラムの支配下にあったころ、タイミング良く(ご都合主義的に)聖ヤコブの遺骸が発見されてカトリックの聖地となりました。以後、1492年にグラナダが制圧されイスラム勢力がイベリア半島から駆逐されるまで(コロンブスがアメリカを「発見」した年です)、レコンキスタ(再征服運動)の中心となっていました。この「サン・ジャックへの道」ではイスラム系の登場人物に聖地で「アラー・アクバル!」と叫ばせています。ここはよかった。

なお、サンティアゴ詣でを題材にした映画には、ルイス・ブニュエル監督の「銀河」(1968年)という作品もあります。監督の人の悪さが感じられるいい映画でした。

2007/10/03

十条・赤羽、しょっぺ店巡り

東京に出張したとき、Tさんに東京のしょっぺ店を案内してもらいました。出向いたのは十条と赤羽。町そのものがしょっぺぇところです。

まずは、十条の「斉藤酒場」。

創業は昭和3年だそうな。コンクリの三和土に素っ気ないテーブル。そして、茶ばんだ壁や天井。いいなあ。

つぎにお隣の赤羽まで電車で移動して「まるますや」。

店の看板には「鯉とうなぎ」とあります。これはうなぎのカブト焼き。2本で200円。うまい。

半年前まで新潟で暮らしていたTさんは、大のしょっぺ店好き。「大丸」が閉店したときはいたく心を痛めていました。今はなきオヤジさんを本町市場でしばしば目撃していたせいもあるのでしょうけど。

2007/09/24

窓の番人



一夜のうちに立派な巣ができていました。手前のゴミにピントが合っています。クモが逆光に映えていたので撮ってみました。

休日の漁港



漁業の人ではなく、釣り人たちです。

日差しは強くても、心地よい風が吹いています。釣り人に心地よい風は、自転車乗りには強敵です。今日は帰路が向かい風でした。

2007/09/23

日曜日ライド

家人ともども自転車で角田山の山裾をめぐって、旧巻町のカフェで昼食。昨日に比べると気温も低くて快適でした。

新車の状況というと、、サドルは相変わらず痛い。これはサドルと自分のお尻の双方が歩み寄って慣れるしかありません。

そして、ハンドルとサドルが近いように感じます。以前から乗っていた自転車と比べてみるとたしかに短い。さっそく自転車屋のオヤジと相談して、長いステム(ハンドル取り付け金具)を探してもらうことにしました。

新しい道具が体に馴染むまでは時間がかかります。それが楽しいところでもあります。

2007/09/22

新車で試走

やっと新しい自転車が完成して、さっそく試走。コースは、海岸、角田山、白根、中之口川沿いの85キロです。


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朝6時半過ぎに出発して、角田山を越えるあたりから気温が上昇し、中ノ口川沿いでは完全にヘタれてしまいました。暑いのにくわえて、皮サドルが馴染んでいなくてお尻が痛いは、モールトンから移行したビンディングペダルが故障するはと、筋肉はあまり疲れないのに、気持ちが疲れてしまいました。

気候は、午後からだいぶ涼しくなってきました。冬が来るまでじっくり走り込んで、新車に慣らしていきたいものです。

2007/09/17

残暑と自転車

午前中、家人と角田浜まで往復50キロを軽く走ってきました。あまりの暑さでヘタレ気味。午後、新津の温泉施設「花水」でぐったりと過ごしました。

自転車で走行中、驚くべき事実を知りました。家人曰く「今日から親指の付け根でペダルを踏むようにしたら、走るのがすごく楽になって、サドルの痛みもなくなった。」なんと、いままでは土踏まずでペダルを踏んでいたそうです。これで佐渡の130キロも走り抜いているのだからタフなものです。

小径車プジョーパシフィック18(BD-1)の改造は無事終わりました。(参照)

去年の12月にオーダーしたロードバイクもやっとパーツが揃い(カンパニョーロのミドルグレード・パーツがなかなか届かなかった)、来週あたりに完成する見込みです。

早く涼しくなってほしいものです。

2007/09/16

ブル7

大友直人指揮、東京交響楽団の新潟定期演奏会を聴いてきました。演目は、マーラーの「歌曲集『少年の不思議な角笛』より」とブルックナーの交響曲第7番。

白眉はブル7の第1楽章でした。2楽章以降はあっさり。家人曰く「レガートな演奏だね」とのこと。

2007/09/15

米坂線

米坂線は、山形県の米沢から新潟県の坂町をつなぐローカル線です。単線・ディーゼル。


今日乗った車体には冷房がありません。


全開した車窓のすぐそばをススキの穂が流れ、穂から離れた種がふわふわと車内に入ってきました。

山形出張

山形にいます。


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新潟から在来線を使って約4時間。こうして地図で見ると、東京よりはるかに近いんですけどね。

米坂線というローカル線は、身体にかすかに残っているテツ分を刺激します。これから、また4時間かけて新潟に戻ります。

2007/09/01

松江、佐賀

先週、松江と佐賀(武雄市)に出張しました。


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こうして地図で見ると、西日本の大移動ですね。

松江はコンパクトでお城や町屋敷を残した町。武雄市は温泉と陶器にくわえて「がばいばあちゃん」で町おこしを図っていました。イベントのレセプションで、これを見せられちゃいました。

P.S.
ひさしぶりに別BLOGにエントリー

2007/08/25

クリニャンクールの蚤の市

パリ最終日はクリニャンクールの蚤の市に出かけました。


蚤の市といえば骨董品というイメージを持っていました。ところが、普通の衣類を扱う露店も多く出ています。まるでアメ横。そして、そこを歩く人の大半は黒人です。この写真は人が途切れたところ。実際は、多くの人であふれていました。


これは古時計店の店先です。歯車が山盛り。

パリ散策

異国の街では中古カメラ屋を探します。サンフランシスコ、ニューヨーク、オスロ、アムステルダム、リスボン、ニュールンベルグ、北京、上海、デルフト、ベルリン。そして、今回のナントとパリ。中古カメラ屋のある街は文化に厚みがあるようです。







もちろん美術館も回りました。フェルメール、レンブラント、セザンヌ、ピカソ、マティス、クレーの実物を見て目の保養。

パリのホームステイ

パリではホームステイを利用しました。家人が、語学学校の終了後、わたくしとナントで合流するまで2週間を過ごしたところです。そこに戻ってきました。ホテルに比べると多少の不自由はありますが、フランスの普通の暮らしに触れることができました。


家主のミシェルさん。じつにジェントルな人でした。

お家は地上16階。右後方にエトワール凱旋門が見えています。位置はこのとおり。

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お家のあるデファンス地区はオフィス街です。パリの中心地には作れない高層ビルが林立。汐留のようです。


デファンス地区のシンボルはグランダルシュ。ルーブル美術館中庭のカルーゼル凱旋門、エトワール凱旋門、そしてこのグランダルシュは一直線上に配置されています。

2007/08/23

ロワール河の古城めぐり

ふたたびクルマを駆って、ロワール河の古城をめぐってきました。往復で420キロくらいの旅程です。


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アゼ・ル・リドー城は絵葉書のようなたたずまい。


ヴィランドリー城は幾何学的な庭園で有名。ちょいと偏執狂的ですね。宇宙から見るとこんな案配

田舎暮らし



新潟出身の女性ガイドの夫君はナント出身。ご夫婦で郊外に住んでいます。夕食にお招きいただいたお宅は、ナント中心街からクルマで20分ほど。すがすがしい田舎でした。

広い庭では2歳のお子さんがふるちんで走り回っていました。オムツが取れる前の子供はこうして遊ばせておくのだとか。ご当地の習慣です。

この時期、夜9時を過ぎても明るくて、日が完全に暮れるのは10時ごろ。ゆっくり飲み、食べ、語りました。

モン・サン=ミシェル

モン・サン=ミシェルに行ってきました。ナントからクルマで2時間ほど。
(Wikipediaのエントリ)


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畑の彼方にぼんやり見えてきます。


みやげ物屋街に人があふれています。


広がる平原。

見渡す限りの畑や海原に浮かぶ姿。幾層もの建築物。さすが欧州有数の観光地です。外からも中からも見所がいっぱい。

クルマは自分で運転しました。マニュアルのシフトレバーが右側にあるのがなかなかなじめず。ときどき、左手でシフトレバーを探していました。そして、ナントの街中でさんざん迷走。そういえば、初めて新潟の街中をクルマで走ったときも一方通行に苦労しましたな。

2007/08/21

ナントは新潟



ナントはこじんまりした街です。いかにもフランスの地方都市。大きな建物は、大聖堂、教会、ブルターニュ公の城、それにオペラハウスくらい。もちろん、街並みは古くて趣があります。

新潟市とナント市は友好都市で、もうすぐ姉妹都市になるそうです。さもありなん。

共通点がいくつかあります。国内最長の河川の河口に位置した港町。人口は50万人(新潟市は合併して80万人に)。産業は臨海部の工業と農業。そして、何より地味。家人がスピーチコンテストで当てなければ来ることはなかったでしょう。面白いものです。

気温は低い

滞在中、ナントもパリも曇ると寒いくらいの気候でした。セーターを着ている人もいれば、コートを着ている人もあり。中にはTシャツで平気な人もいて、まちまちです。

この気候に慣れてしまったので、日本に帰ってきたときは熱気にやられました。



これは書店のマンガコーナーです。



マンガ人気を実感しました。ちなみに、家人はフランス語版の「NANA」を16巻購入。一冊6ユーロです。今のレートは1ユーロ160円くらいだから、、、おいおい。

スーツケース紛失

行ってまいりました。ナントに5泊、パリに3泊。フライトは往復とも新潟空港発着、ソウル経由の大韓航空です。

ソウル、パリの乗り換えを経てナントの空港に到着したところでトラブルが発生しました。預けたスーツケースが出てこず。新潟空港でタグに"NTE(ナント)"とあるのは確かめたのですけどね。

ナント空港の紛失届け出窓口にはほかに7〜8人いました。ロストの当たりだったようです。スーツケースは二日後にホテルに届きました。その間は着たきり生活。

これで荷物ロストは二回目。乗り換えのあるフライトに乗った回数は少ないので、確率は高いですな。

2007/08/10

行ってまいります。

明日8月11日(土)から20日(月)まで出かけてまいります。

11日(土)から15日(水)までがナント、残りがパリです。

ではでは。

2007/08/04

盛夏の候




夏です。8月1日の梅雨明けと同時にぐっと暑くなりました。

左右対称



先週撮ったものを眺めていたら、左右対称の組み合わせを見つけました。

705NK(NOKIA N73)は、ケータイのカメラだと思えばまあまあの画質です。それでも、手軽に持ち運べる高画質のカメラが欲しくなってきた今日このごろ。

SIGMA DP-1を待っています。なかなか出荷されませんなぁ。

2007/07/30

目の曇りがとれた夕方



今日も空気が澄んでいました。夕陽に照らされた風景がドラマチックに見えます。まるで、目の曇りがとれたように。目のウロコはなかなか落ちませんが。

こんな夕景を目の当たりにすると、フィルムカメラ、それもポジ(スライド)フィルムで撮ってみたくなります。できれば、コダクロームで。

2007/07/26

雨のあがった午後



午前中の強い雨は、昼過ぎにはあがりました。蒸し暑い午後。

2007/07/25

きのうの空



昨日は晴れて空気が澄んでいました。今日は雨降り。

ふと、「たどり着いたらいつも雨降り」といういにしえの歌を思い出しました。バンド名はモップス、ボーカルは鈴木ヒロミツ、作詞・作曲は吉田拓郎。

2007/07/22

訪問者×2



先日、階段で見かけたヤツと再会したと思ったら、もう一匹いました。よく似ています。兄弟(姉妹)かな。どちらもまだ小さくて、人間を警戒しません。(野良)ネコが多いところは、人間も住みやすいと聞いたことがあります。生活環境が改善されたのでしょうか。

2007/07/17

なゐ

なゐふる」は地震の古語です。「なゐ」だけでも地震の意味に使います。

大きな「なゐ」が起きてしまいました。唐突に命を失われた方に心からお悼み申し上げます。怪我を負われた方、家をなくした方が、すみやかに元の暮らしを取り戻すことをお祈りします。また、私を捨てて災害に立ち向かっている多くの方々に敬意を表します。

災いに遭うか遭わないかは紙一重の差です。

雨の日曜日は糸魚川に出かけました。不通になる前の高速道路を通って。

最初に大きく揺れたときは自転車で角田山の峠道をくだっていました。震度5弱だったはずですが、まったく気づかず。

「なゐ」。

ことばの優雅なひびきには、自然がもたらす大きな災いは不可避というあきらめも感じられます。けれども、災いが奪う命を減らすこと、あるいは、災いが損なう暮らしをすみやかに取り戻すことは、人智の及ぶ領域であります。

2007/07/14

ジン三種



飲み比べてみました。

右のボンベイサファイヤはマイルド、真ん中のビフィーターはシャープ。そして、左のタンカレーNo.Tenは深い味わいです。価格相応ですな。

ポカポカ地球家族

毎週欠かさずに観るテレビ番組があります。「ちびまる子ちゃん」、「サザエさん」、そして、「ポカポカ地球家族(テレビ朝日系)」です。

家人が渡仏してから、バラエティ・お笑いのたぐいはまったく観なくなりました。それでも、この3つの番組は観続けています。

「ポカポカ地球家族」は、海外で暮らす日本人を家族ごと紹介します。日本人同士のカップルもあれば、現地の配偶者を得ている夫婦もあります。

じつは、夫婦の馴れ初めの紹介が楽しみです。現地で知り合ったケース、日本で知り合って渡航したケース。中にはこまかい事情が紹介されないワケアリのケースもあります。うーん、面白い。

もちろん、そんな下世話な興味を満たすだけではありません。異国の人びとの暮らしぶり。それを、日本から住み着いた人が語るところが、この番組の真骨頂といえるでしょう。

2007/07/10

↓誤爆訂正

7月8日付エントリのタイトルで大誤爆。昭和48年生まれの知人から指摘されるまで、まったく気づきませんでした。いやはや。

ついでに、SOFTBANK 705NK(NOKIA N73)で撮った最近のお気に入りを掲げておきます。

フェリックス・ザ・キャット、ですかね。カビが生えたフェリックス。
「来客用しんきん」。心筋?真菌?

2007/07/08

34年熟成梅酒とタンカレー No.10

知人から自家製の梅酒を頂戴しました。聞けば、昭和48年に仕込んだものとのこと。34年ものです。合わせて、梅酒とジンを使ったカクテル"Asian Beauty"のレシピを聞きました。ジンはタンカレーNo.10を使います。



左が"Asian Beauty"。右側のペットボトルの中身が長熟梅酒です。

タンカレーNo.10は立派な箱に入っています。



カクテルの後にNo.10でドライマティーニを作ってみました。マイルドな味わい。以前はマイルドすぎると思ったけど、これもありかも。もっとも、すでにワイン、梅酒カクテルと飲み継いで味覚(というか知覚)が怪しくなっていましたが。



*訂正(2007/7/10)*
タイトルおよび文中で「34年」を「24年」として10年サバを読んでいまいた。無意識のうちに。

Garmin Edge800を新調

5年間の酷使で満身創痍のGarmin Edge305。ついに、Edge800の導入に至りました。 楽しい選択で迷ったのは他社のサイコンではなく、iPhone。Bluetooth接続の スピード/ケイデンス・センサー や、 心拍センサー を導入して、 Cyclemeter な...